ボブスレーの裾野を広げる 日本女子の第一人者が新たな活動へ
こうやって毎回日記を書き連ねていて思うんですけど何かを書くのってなかなか厄介です。
基本的にはたいして食べないのですが、ここしばらく食べていないのでハンバーガーを食べて見ました。
賢い女性になるためのためには、勉強ですね。
新しいニュースで、今日も勉強しましょう。
トピックスをとりあげます。
では、ここから本題。
ボブスレーの裾野を広げる 日本女子の第一人者が新たな活動へ
産経新聞 3月6日(日)12時10分配信
最初のころは顔を引きつらせて泣きそうな子供も、そのうちやみつきに…=2月19日、北海道音更町の十勝エコロジーパーク(藤井克郎撮影)(写真:産経新聞)
【ホッと一息@北海道】
「氷上のF1」とも呼ばれるボブスレーは日本ではなかなか目にする機会がない冬のスポーツだが、この競技の裾野を広げようと尽力している女性が北海道にいる。昨年のバンクーバー五輪にも出場した日本女子の第一人者、桧野(ひの)真奈美選手(31)。この冬は後進の指導にも乗り出しているほか、昨年末には本も出版した。「また違う勉強をさせてもらっています」と笑顔で語る。(札幌支局 藤井克郎)
「この時期、北海道にいることなんてなかったですからね」と桧野さんは、遠征に次ぐ遠征で忙しい毎日を送っていた昨年までとは生活ががらっと変わったことを打ち明ける。
2月19日、桧野さんの地元に近い音更町の十勝エコロジーパークで、「子供ボブスレー無料体験教室」が開かれた。桧野さんのクラブ「チーム・ヒノ」のスタッフやサポートメンバーらによる手作りの雪のコースを、子供用のボブスレーで滑り降りる。コースは50メートルほどの長さで約10メートルの高低差があり、カーブのバンク(傾斜面)も再現されている。時速140キロにもなる本物と比べると7分の1のスピードで、ほんの10秒ほどの滑走だが、子供たちはボブスレーの迫力の一端を感じたようだ。
最初は「心臓が止まるかと思った」と目を丸くしていた音更町の小柏龍弥(りゅうや)くん(6)は、2回、3回とチャレンジするうちにやみつきになり、「もっとやりたい」と大はしゃぎ。母親のミカさん(32)は「もしボブスレーを本格的にやりたいと言ったら、応援するしかないですね」とほほ笑む。
会場には、桧野さんの小学校の同級生も子供連れで姿を見せていた。「思ったよりスピードがあった。将来、やってみたいけど、オリンピックまでは行かないと思う」と楽しんでいたももちゃん(10)、みなみちゃん(8)姉妹の母親、松井悠希(ゆき)さん(31)は「マナちゃんが苦労してきたのを見てきているだけに、たくさんの人にこの競技のことを知ってもらいたい。けがをせずに滑るだけでもすごいのに、順位も残しているんですから、ホントすごいなって思います」と桧野さんを応援していた。
現在、帯広市の北斗病院に勤務する桧野さんだが、昨シーズンまで冬に地元にいるということはほとんどなかった。というのも、日本ではボブスレーのコースは長野県にしかなく、さらに桧野さんのそりはヨーロッパに置いてあって、飛行機で運ぶと1回100万円ほどかかるという。国際試合を転戦するには、ヨーロッパを拠点に活動する方が便利なのだ。
この日の体験教室は、桧野さんを支えるチーム・ヒノ後援会の主催で企画。地元の教育委員会や観光協会などもバックアップしており、「多くの人が支援してくれるからできることで、とても感謝しています。私もボブスレーがどんな競技か知らないところから始めたわけで、これをきっかけにちょっとでもボブスレーのことを知ってもらえたらと思います」と言う。
桧野さんがボブスレーと出合ったのは20歳のとき。体育教師を目指す普通の短大生だったが、新人発掘テストのポスターをふと目にして、おもしろいかも、と参加したことから、運命が変わった。
2年後のソルトレークシティー五輪は出場権を得ながら選手団の人数調整で涙をのんだものの、続くトリノとバンクーバーに2大会連続で出場。女子には2人乗りしかないが、前方のパイロットを務め、それぞれ15位、16位と健闘した。
この10年間、けがとの戦い、資金難との戦いと、競技以外でも戦い続けた桧野さんだが、その辺りの本音を書きつづった「ゆっくりあきらめずに夢をかなえる方法」(ダイヤモンド社)を昨年12月に出版。選手生活から引退したわけではないが、今シーズンはトレーニングはお休みして、本のサイン会や講演などで飛び回っている。
「毎回、生きるか死ぬかの過酷な競技で、同じ気持ちで4年間続けるのはきつい。海外でも、今年、来年と休んでいる選手は多いんです。バンクーバーを一区切りにしようと考えていたので、次は単にオリンピックに出るというだけで行くつもりはありません。ただ私が目指すのがいいのか、若い子が長い期間かけてやっていくのがいいのか。いっぱいいろんな人がやってくれるのが一番なので、私を抜かしてくれたらそれでいい」
最大の悩みは桧野さんに続く選手がいないということで、今年は後進の指導にも乗り出した。来年には初めてのユース選手権がオーストリアのインスブルックで開かれることになっており、そのための選手の育成に励んでいる。帯広南商業高校の後輩に当たる1年生もスカウトしたが、彼女はこの1月に初めてそりに乗ったばかりだという。
「ほかの国でも今年から始めた子は多いみたいで、日本にもチャンスはある。小学生のころから知ってる子で、声をかけたら挑戦してみたいというので、やらせてみたらまあまあよかった。伸びしろはあるのかなと思っています。でも自分が滑る方が楽。恐怖心と戦うという気持ちがわかるだけに心配です」
この日の子供体験教室も本物のボブスレーとは異なるが、少しでもこの競技のことを知ってほしいという思いがある。
「みんな楽しい楽しいと言って乗ってくれたのが、すごくうれしい。最初、心臓が止まるかと思った、と言っていた子も、何回も乗って楽しんでいる。ボブスレーも同じで、恐怖心はあっても、何回も乗ると達成感が得られるんです。多くの人にボブスレーの楽しさを知ってもらえたらなと思います」と目を細めた。
【関連記事】
女子ボブスレーにもっと支援を 札幌でシンポジウム開催
越氏がスケルトン強化に ボブ・リュージュ連盟
負担大きい冬季競技施設の維持
ジャンプ女子など10種目採用に前向き
スポーツ支援で問われる実利 厳しい経営環境
中東の激動に役割果たすシリコンバレー 国際政治と、どう向き合う?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110306-00000508-san-spo
明日は、重要な約束があります。がんばらないと。
さぁ、がんばるぞっと。
またね・・・
[PR]SYOU-KENどっとコム
ジュエリー・アクセサリー(女性用)→ネックレス・ペンダント→オパール→ブラック
基本的にはたいして食べないのですが、ここしばらく食べていないのでハンバーガーを食べて見ました。
賢い女性になるためのためには、勉強ですね。
新しいニュースで、今日も勉強しましょう。
トピックスをとりあげます。
では、ここから本題。
ボブスレーの裾野を広げる 日本女子の第一人者が新たな活動へ
産経新聞 3月6日(日)12時10分配信
最初のころは顔を引きつらせて泣きそうな子供も、そのうちやみつきに…=2月19日、北海道音更町の十勝エコロジーパーク(藤井克郎撮影)(写真:産経新聞)
【ホッと一息@北海道】
「氷上のF1」とも呼ばれるボブスレーは日本ではなかなか目にする機会がない冬のスポーツだが、この競技の裾野を広げようと尽力している女性が北海道にいる。昨年のバンクーバー五輪にも出場した日本女子の第一人者、桧野(ひの)真奈美選手(31)。この冬は後進の指導にも乗り出しているほか、昨年末には本も出版した。「また違う勉強をさせてもらっています」と笑顔で語る。(札幌支局 藤井克郎)
「この時期、北海道にいることなんてなかったですからね」と桧野さんは、遠征に次ぐ遠征で忙しい毎日を送っていた昨年までとは生活ががらっと変わったことを打ち明ける。
2月19日、桧野さんの地元に近い音更町の十勝エコロジーパークで、「子供ボブスレー無料体験教室」が開かれた。桧野さんのクラブ「チーム・ヒノ」のスタッフやサポートメンバーらによる手作りの雪のコースを、子供用のボブスレーで滑り降りる。コースは50メートルほどの長さで約10メートルの高低差があり、カーブのバンク(傾斜面)も再現されている。時速140キロにもなる本物と比べると7分の1のスピードで、ほんの10秒ほどの滑走だが、子供たちはボブスレーの迫力の一端を感じたようだ。
最初は「心臓が止まるかと思った」と目を丸くしていた音更町の小柏龍弥(りゅうや)くん(6)は、2回、3回とチャレンジするうちにやみつきになり、「もっとやりたい」と大はしゃぎ。母親のミカさん(32)は「もしボブスレーを本格的にやりたいと言ったら、応援するしかないですね」とほほ笑む。
会場には、桧野さんの小学校の同級生も子供連れで姿を見せていた。「思ったよりスピードがあった。将来、やってみたいけど、オリンピックまでは行かないと思う」と楽しんでいたももちゃん(10)、みなみちゃん(8)姉妹の母親、松井悠希(ゆき)さん(31)は「マナちゃんが苦労してきたのを見てきているだけに、たくさんの人にこの競技のことを知ってもらいたい。けがをせずに滑るだけでもすごいのに、順位も残しているんですから、ホントすごいなって思います」と桧野さんを応援していた。
現在、帯広市の北斗病院に勤務する桧野さんだが、昨シーズンまで冬に地元にいるということはほとんどなかった。というのも、日本ではボブスレーのコースは長野県にしかなく、さらに桧野さんのそりはヨーロッパに置いてあって、飛行機で運ぶと1回100万円ほどかかるという。国際試合を転戦するには、ヨーロッパを拠点に活動する方が便利なのだ。
この日の体験教室は、桧野さんを支えるチーム・ヒノ後援会の主催で企画。地元の教育委員会や観光協会などもバックアップしており、「多くの人が支援してくれるからできることで、とても感謝しています。私もボブスレーがどんな競技か知らないところから始めたわけで、これをきっかけにちょっとでもボブスレーのことを知ってもらえたらと思います」と言う。
桧野さんがボブスレーと出合ったのは20歳のとき。体育教師を目指す普通の短大生だったが、新人発掘テストのポスターをふと目にして、おもしろいかも、と参加したことから、運命が変わった。
2年後のソルトレークシティー五輪は出場権を得ながら選手団の人数調整で涙をのんだものの、続くトリノとバンクーバーに2大会連続で出場。女子には2人乗りしかないが、前方のパイロットを務め、それぞれ15位、16位と健闘した。
この10年間、けがとの戦い、資金難との戦いと、競技以外でも戦い続けた桧野さんだが、その辺りの本音を書きつづった「ゆっくりあきらめずに夢をかなえる方法」(ダイヤモンド社)を昨年12月に出版。選手生活から引退したわけではないが、今シーズンはトレーニングはお休みして、本のサイン会や講演などで飛び回っている。
「毎回、生きるか死ぬかの過酷な競技で、同じ気持ちで4年間続けるのはきつい。海外でも、今年、来年と休んでいる選手は多いんです。バンクーバーを一区切りにしようと考えていたので、次は単にオリンピックに出るというだけで行くつもりはありません。ただ私が目指すのがいいのか、若い子が長い期間かけてやっていくのがいいのか。いっぱいいろんな人がやってくれるのが一番なので、私を抜かしてくれたらそれでいい」
最大の悩みは桧野さんに続く選手がいないということで、今年は後進の指導にも乗り出した。来年には初めてのユース選手権がオーストリアのインスブルックで開かれることになっており、そのための選手の育成に励んでいる。帯広南商業高校の後輩に当たる1年生もスカウトしたが、彼女はこの1月に初めてそりに乗ったばかりだという。
「ほかの国でも今年から始めた子は多いみたいで、日本にもチャンスはある。小学生のころから知ってる子で、声をかけたら挑戦してみたいというので、やらせてみたらまあまあよかった。伸びしろはあるのかなと思っています。でも自分が滑る方が楽。恐怖心と戦うという気持ちがわかるだけに心配です」
この日の子供体験教室も本物のボブスレーとは異なるが、少しでもこの競技のことを知ってほしいという思いがある。
「みんな楽しい楽しいと言って乗ってくれたのが、すごくうれしい。最初、心臓が止まるかと思った、と言っていた子も、何回も乗って楽しんでいる。ボブスレーも同じで、恐怖心はあっても、何回も乗ると達成感が得られるんです。多くの人にボブスレーの楽しさを知ってもらえたらなと思います」と目を細めた。
【関連記事】
女子ボブスレーにもっと支援を 札幌でシンポジウム開催
越氏がスケルトン強化に ボブ・リュージュ連盟
負担大きい冬季競技施設の維持
ジャンプ女子など10種目採用に前向き
スポーツ支援で問われる実利 厳しい経営環境
中東の激動に役割果たすシリコンバレー 国際政治と、どう向き合う?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110306-00000508-san-spo
明日は、重要な約束があります。がんばらないと。
さぁ、がんばるぞっと。
またね・・・
[PR]SYOU-KENどっとコム
ジュエリー・アクセサリー(女性用)→ネックレス・ペンダント→オパール→ブラック